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倉庫  次男の細菌性髄膜炎


2006年1月27日(金)
なんでもない1日の始まりであった。
この日は、職場で飲み会があり、帰りが遅くなった以外は普通の日だった。
ほどよく飲んで、終電で帰る。
家に着いた頃には0時を回っている。家族は寝ているであろう。
家に入ると、妻と次男がリビングに布団を敷いて寝ていた。
妻が気づき起きた。次男が熱を出している為、長男とは別の部屋で寝ていたようだ。
そういえば、ちょうど1週間前も熱を出していた。あの時は、翌日には熱は下がった。
今回も、ちょっとした風邪だろう。それくらいに思っていた。

2006年1月28日(土)
長男に起こされた。
妻は既に起きて出かける用意をしている。
次男の熱が下がらないようだ。ミルクも全然飲もうとしない。
かかりつけの小児科へ連れて行った。
しばらくして、妻から電話があった。
「倉敷中央病院へ行くから用意をして」
急いで用意をして病院へ向かった
小児科でインフルエンザ等の検査をしたが、反応はなし。
もう前日からミルクを飲んでいないし、次の日が日曜日という事もあって、
脱水症状がでる前に、大きい病院で点滴をしてもらった方がよいとの事。
中央病院の先生に連絡してもらい紹介状を書いてもらった。
長男は祖父に預かってもらい、私と妻、次男の3人で中央病院へ行った。
ひととおり診察を済ませ、既に脱水症状が出始めているので、
しばらくは点滴をした方が良いとの事で、その場で入院が決まった。
2006年1月29日(日)
相変わらず、39度後半の熱が続いている。

血液検査の結果は何も反応が出なかった。
原因が分からないのが一番怖い。

2006年1月30日(月)
心配だったので、この日は会社を休むことにした。
熱が下がっている事を願って病院に行く。
しかし、熱はまだ下がっていなかった。
抗生物質は投与し続けているらしいが、まだ効果は現れていない。
原因 いまだに特定出来ず。


2006年1月31日(火)
原因が特定できた。
肺炎球菌が血液にのって全身に回っているらしい。
最初の検査では、なぜか反応が出なかったらしい。
 今の抗生物質では弱いとの事で、別の抗生物質に変えることになた。

2006年2月1日(水)
最初の頃のような高熱は出なくなった。
しかし、まだミルクは飲めないので点滴。

2006年2月2日(木)
かなり改善して来た。
血液検査の数値も良くなっている。
子供の機嫌も良くて、時々笑顔を見せるまでに回復した。
来週月曜日の検査で結果が良ければ、水曜日くらいには退院出来るとの事。
2006年2月4日(土)
病院では適当なオモチャがないので、子供は退屈している様子。
妻が、携帯電話のオモチャを買って来た。
次男は携帯電話のオモチャを、もの珍しそうに見ている。
しかし電池がなかったので、音がしない。
明日もって来る事を妻に伝え、病院を後にする。
2006年2月5日(日)
病室に行くと、看護婦さんがベッドを移動していた。
今までは4人部屋で窓際だったのをドアに近い位置に移動していた。
私に気づくと
「あぁ お父さん。 今処置室に行かれていますので。」 看護はそう言って部屋を出て行った。 点滴をとる為に処置室に行っているのだろうか?
いよいよ点滴が取れるのかと思った。
買ってきた電池を昨日のオモチャに装着し、
音がなる事を確認しながら帰ってくるのを待つ。
ドアが開いた。先ほどとは違う看護婦だった。
「お父さん。 ちょっとよろしいでしょうか?」
看護婦はちょっと遠慮がちに私を呼んだ。
なんだろう?
「先生。お父さんが来られて・・まだ何も聞かれていないので・・・」
「先生の方から説明をお願いします。」
なんだか様子がおかしい。
そして先生から今朝、次男の容態が急変したとの事説明を受け
置室へ案内された。

処置室に行くとベッドの上で苦しそうにもがく息子がいた。
首は硬直して、目は上視したまま動かない。
応急処置をしてCTスキャン室へ。
待っている間、妻から話を聞いた。
朝 起きた時は、なんともなかったらしい。
そしてミルクを飲ませていたら、突然おう吐。
その後、頭から汗があふれ出し、一点を見つめたまま動かなくなったとの事。

なにが起こったのだろうか?
検査を終えた次男が病室に戻ってきた。
そして、先生に呼ばれた。
CTスキャンの画像を見ながら説明を受けた。
「髄膜炎です。」
初めて聞く病名なので、ピンと来なかったが、
血液中の肺炎球菌が髄液にまで進入し、脳を圧迫していると説明を受けた。
後で調べてわかったが、髄膜炎にも色々あって、ウィルス性髄膜炎
というそんなに重くないものもあるらしいが、
息子の場合は、細菌性のものらしくタチが悪いそうである。
説明をひととおり受けた後、集中治療室が空いているということで、
そっちへ移動する事になった。

集中治療室に入ると、まずカテーテルを挿入する事になった。
手に1本だけ通している今の点滴では足らないなので、
より心臓に近い位置の太い血管から点滴や抗生剤を投入する為らしい。
処置か終わるまで、待合室で待っていた
連絡を受けた私と妻の両親も駆けつけてくれた。
しばらく思い空気が流れる。
どれくらいの時間が経ったのだろうか?
しばらくすると呼ばれたので再び集中治療室へ。
痙攣がさらに激しくなっている子供の体からは、抗生剤や点滴を
投入する為の3本の管や心電図や酸素量を計る為の配線が伸びていた。
先生から今後の治療計画についての説明を受けた。
抗生剤を投与していたにもかかわらず、細菌が死滅せずに髄液にまで進入したと云うことは
耐性菌(MRSA)の可能性もあるとの事。
そしてこの耐性菌に対して効果のある「バンコマイシン」という抗生剤を投与するが
バンコマイシンの副作用として、まれに腎機能障害や聴覚障害などの報告があるとの事。
まだ、言葉も覚えていない子供に対して「聴覚障害」と言われると一瞬
引いてしまったが、命には代えられない
治療法について、何枚かの承諾書にサインした。

一般病棟と違い集中治療室では、患者1人に看護師が1人24時間体制でつくとの事で
この日は、妻も自宅へ帰る事にした。

2006年2月6日(月)
むむむ。仕事が手に付かない。

昼過ぎに、妻から電話があった。
容態が落ち着いたので一般病棟に戻ることになったとの事。
妻は付き添いで、また泊まり込むことになるので、荷物を届ける為
この日は午後から退社することにした。
雪が激しく降る日だったが、駅まで歩く間も寒さは感じなかった。
まだまだ先は見えないが、とにかくうれしかった。

夕方に移動するという事だったので、とりあえず、集中治療室に向かったが
既に、一般病棟に移動した後だった。
一般病棟に戻ったと行っても相変わらず、点滴用の管や心電図等の配線がいっぱい
繋がっている。
息子の機嫌はよい。


2006年2月7日(火)
入院中の息子はミルクの量を制限されている為
一度に100ccしか飲めない。
全然 足りないらしく、一気に飲み終わると泣き出す。

元気に泣く姿を見るとほぼ完治したかのように見えるが
時々、手や頭が揺れて軽い痙攣をおこすようだ。
まだ、抗生剤が完全に頭の髄液に回りきっていないので
多少は脳が圧迫されるらしい。
今の段階でこの程度なら心配はないとの事。
2006年2月9日(木)
今日は髄液の検査をする予定だったが、採取した髄液に血液が
混ざった為、日を変えて再検査ということになった。
子供が痛がってなかなかスムーズに出来ないらしいが
散々 痛い思いをしたあげく検査出来なかったのはちょっとかわいそうだった。
2006年2月10日(金)
週末になって再び発熱。
カテーテルが原因と思われる為、外して通常の点滴に戻す事になった。。
発熱の原因を調べるため、採血。
2006年2月11日(土)
通常の点滴に戻して、熱も下がってきた。
機嫌もよく、よく笑うようになった。
食欲もあるようで、ミルク+離乳食も食べられるようになった。
2006年2月24日(土)
ついに退院。
午後から仕事を休んで、病院に迎えに行った。
主治医に呼ばれ、説明室なる場所で、今までの経緯、治療内容を改めて説明してもらった。
化膿性髄膜炎はひどい場合だと脳にかなりのダメージを受けるらしいが、
幸い、息子の場合は良い方向へと向かった為、元気に退院する事が出来た。
退院しても薬を飲み続け、通院もしなければならないが、
とりあえず、日常の生活が戻ってきた。

これまで、治療に携わって下さった医師及び看護師の皆様に感謝。

そしてなにより一番頑張った息子。よくかんばった。



自宅に帰りホッとする。1ヶ月ぶりに4人揃った。
これからまた、騒がしい1日が始まる。






■次男の細菌性髄膜炎
■次男の腸閉塞

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